野蛮人は、殊に、音に対して、鋭敏な感覚を有している。いゝ音色に聞きとれている時には、背後から頸を斬られるのも知らずにいるとさえ言われている。 美しいものや、正しいものは、常に、この地上の到るところに存在するであろう。しかし、これを感ずる人は、常に、どこにでもあるとはいわれない。なぜなら、その人はまた、謙虚にして、誠実であり、美や、正義に対して、正直に、それを受けいれることのできる人でなければならぬからだ。 すべて、芸術といわれるものが、良心の結晶であるかぎり、かくのごとき普遍性を有するものである。そして、それを感ずる人は、又かくのごとき自由性に、置かれている。与うるにも、受けるにも、そこに何等の条件と理論とを必要としないのである。 自然にあっても、芸術にあっても、いつでもこうして、美しいものや、正しいものは、人間の魂を清らかにする。そればかりでなく、現実から、遠いところへ彼等を、誘って行くものだ。一茎の花に、それだけの力があったら、真の詩人の情熱から、感激から、発生するそれ等の芸術にして、何ものかを心の上に残して行かない筈はない。こゝに、芸術の魅力があり、尊貴がある。茂原市 歯科 熱火を子に払う ? Startseite